月別アーカイブ: 2018年9月

9/15

地震から一週間が過ぎ、生活も落ち着き始めました。納豆の品薄が何度も話題になるので、スーパーで探してみたら、たしかにない。そんなに入れ込んでいるわけではないものだと、いつもと違ってもやっぱり気づかないものです。推理小説にこういう種類の心理トリックは出てくるが、例えば私はよく飲むコーヒーの棚の微細な違いにはすぐ気づくかもしれないが、吸わないタバコの棚の変化は、ほとんど気づかないだろう。それをどうトリックに使うかが問題ですが。

9/7

トラブルファンクのGrip it はパブリックエナミーにサンプルされているとこの動画のコメントにありますが、その通りで、Fight the Powerのオープニングに使われていたと思います(5:20からがその部分です)。このサタデーナイトライブはカセットでしか売られていなくて、痛むのがいやなので、テープではほとんど聞きません。

9/3

Stanley Jordan-What’s Goin On. を久しぶりに聞きました。 この曲が入っているコーニュコピアというアルバムは、学生時代に何度も聞いたアルバムです.ライブ収録が多い中で、後半のWhat’s Going On~Always Knowはスタジオ録音の曲です。この2曲を続けて聞いていると集中力が高まりました。

9/2

何の気なしに低予算映画をみていると、視聴者の声を聞きすぎているのではないかと思うことがあります。一般視聴者というのは製作者と違い、映画という結果が現れて初めて判断を開始するのが常ですから、その判断は、この場面はいらないとか、こんなことをするくらいならあれと取り換えたほうがいい、というものになちがちです。低予算映画の多くの場面は、見方によってはあってもなくても大筋に影響ないでしょうが、だからといってそれを全部取ってしまったら、それでいいものになるのか? 最近見た例では、あまりにも単調なものになってしまい、「視聴者のいうとおり無駄をそぎ落とした」からといって、面白くなるわけではないなと改めて思いました。視聴者の声は方向性を定める上では確かに参考になりますが、個々の制作の場面では、その声はあまり助けにはならないと思います。