月別アーカイブ: 2015年7月

7/19

The end of capitalism has begun

こういうことはずっと言われていましたが、今一つ形になって現れてくることはありません。

 Without us noticing, we are entering the postcapitalist era. At the heart of further change to come is information technology, new ways of working and the sharing economy. The old ways will take a long while to disappear, but it’s time to be utopian

上の抜粋だけ読むと「え~~~? (いまでもまだ)ITですか~~~?」と疑わしい気分になる人の方が多いのではないかと思います。

私としては社会実験みたいなものは、それなりの金持ち、役職者、識者、メディア・娯楽産業などの負担でお願いしたいと思ってます。貧乏であれば、仕事の機会は何だってありがたいものですから、それがうまくいくかどうかはどっちでもよかったりします。しかし、実験の「アーキテクト」たるものは、そういう人たちの士気に依存してはいけないと思います。ともあれ、仮に「ユートピア産業株式会社」みたいなものができたとして、私は、株主としてなら、参加したいなといつも思っています。発言権が大きくなくても、上場となれば多少の恩恵に浴することができるでしょうから、一生懸命頑張るだろうと思います。

 

7/11

Greek debt crisis: Eurozone creditors have trust issues with Tsipras- live

ユーロ圏離脱を北海道にたとえるとどうなるのか考えてみました。理屈の上では、離脱が一番よいのではないかと私も考えるのですが、現実に暮らす人たちは、ほとんどがユーロ残留を望んでいるそうです。

(北海道が円を離脱、エンに対して例えばドンという新通貨をつくってみた場合、生活に起きそうな変化) エンを初め世界中の通貨に対して当初はドンの価値が一気に下がると思われますので、

  • ipadが月給数か月分になる。家電類も高価になる。4Kテレビ?、iwatch?どこにあるの?という世界に。
  • ライジングサンロックフェスティバルに地元のセミプロやプロが多くなる。ゴールデンボンバーは50年に一回くらいしか仕事で訪れることがなくなる。
  • 最近北海道ローカルで見かけるようになった東北や九州の芸人が、滅多に出演してくれなくなる。
  • 地元の芸人も、仕事で北海道に滞在することはなくなる。
  • 農業、漁業の本州向けの輸出は伸びる。
  • 地産地消が進む。

こんなようなことを想像しました。今、仕事があって、そこそこ報酬をもらっている人にとっては、ユーロから出ることを考えにくいのが何となく分かります。円ドルレートのように30%程度の変化であればまだしも、変化率が100%を越えるようだと、生活水準の切り下げが実感としてのしかかってくるように思います。

しかし、富が再配分される前提のないユーロゾーンで、外生的な大不況に出くわし、負債をつくった小国が地力でそれをすべて返すのは困難だと思います。毎年、プライマリ黒字を出すように強いられれば(他地域に比べて多くない予算がさらに償還のために使われ、経済活動のために使われない)、域内での相対的な地位は余計に低下し、貿易論的な意味での比較優位もそれほど得られることはなく、通貨価値は産業国と全く同じであり、その優位性もないので、域内貿易で有利にもならない。

外発的な不況の結果としての負債は、外から来る補助、通貨価値下落による貿易黒字などを活かしてしか減らないのではないかと思います。

一の通貨圏における複数の主体を想定した場合には、その予算の規模の違いは影響します。日本国内で一番である東京は、たとえ一時期な財政赤字を出しても、いずれ自力でそれを解消できるでしょうが、その何十分の一の規模しかない自治体が「東京に学べ!」といってもそれができるかは疑問です。同じ通貨を使っている場合には、比率でなく、動かしている通貨の絶対額が大きな意味を持つからです(10分の1だけベンツを買うということはできませんし、用を為しません)。要するに、大金持ちの可処分所得は、税引き後でも、やっぱり莫大なのです。可処分所得の絶対額はあるラインを下回ると、生活状況に深刻な影響を与えることは言うまでもありません。

このような事情があるので、当然、国は地方を支援します。東京と夕張を同じように扱うことはしません。一方で強い地域には、その経済的自律性を促進し、それを損なわないように気を配ります。

現在のユーロ危機は、

域内の経済の規模の違いに応じた持続的な支援枠組みをつくるか、ギリシアがユーロを離脱するか

しかないと私は思います。ドイツ、フランスとギリシアに同じ経済的行動規範を要求するのは無理です。小さな村に大都市と同じようにやれというようなものだからです。

今回のユーロ危機を見ますと、EU、EZは元々は高度な産業国の連合体として構想されたもののように思います。例えば東京、大阪、名古屋、福岡といった大都市圏だけの連合体のようなものです。そこに残りの全ての自治体を加えて、「あなたがたもしっかりやりなさい」と言っているように見えます。相対的な規模の差が、自治体の動かしうる通貨の絶対額に作用しており、その絶対額の差がモラルでは通常埋められない差異を生み出します。というのも、財・サービスの有意義な活用のためには、支払わなければならない最低額が存在し、それを下回る何割かを入手するということができないからです。財・サービスに、そのような際限のない可分性があるのなら、EZも成り立つのかもしれませんが、それは私たち人間存在が1つの個体的存在であることをやめでもしない限りは無理なことだと思います。

それはともかく、ともかく今日と明日とあさってと、どうしますか?ということなのでしたね。離脱の準備も民意もギリシアにないということは、私にとっては残念なことなのですが、それであれば、これまでと同様の支援・融資を軸にして話は進むということなのでしょう。一時しのぎは、立派な策の一つだと思います。