月別アーカイブ: 2014年8月

8/14

野球をネット観戦。配信していたんですね。いつごろからやってたんでしょうか。

南北海道代表・東海大四が、強いと言われていた九州国際大付属に勝っています。「序盤のピンチをしのいで、先取得点して逃げ切って勝った」とまとめれば短いですが、とにかくおめでとうございます。やっぱり勝たないといけません。将棋なんかでは、負ける方法ならいくらでもあります。諦めて投了しさえすれば、どんなときにでも負けることができます。

技芸というものは、どれも習得、会得、体得することをもって、それまでの試行錯誤がプラスに転換することもありうるのであって、ただたんに負けました、やめますでは、得るものはありません。負ける・やめるといったことはそれ自体には何の価値もないということは知っておかないとなりません。対処すべき事態ではあっても、目標でもなければ恵みをもたらすようなものでもありません。

柔道などで、一度も相手を投げたことはなく、際限なく投げられたとして(仮に投げられれば投げられるほど強くなるといった仮説をもとに)、得られるものはといえば、投げられずに粘る技術ぐらいのものでしょう。これは、進化論の悪い適用例で、こうした単なる「まずい練習法」を母数としたものから、適応した選手、生き残った方法論などを採用すると、選手の潜在能力を生かし切ることはできません。

進化論は一世代に発現するような法則を主張するようなものではないので、学説として存在はしていても、社会工学に援用できるケースは数理的な環境における仮説群の検証みたいな、そんなケースに限られるのではないかと思います。ですから、安易に適者生存的図式(いいかえればただ腕を組んで眺めていること)を、現実の人間社会の一世代以内で完結すること(すなわちほとんど全部ですが)に適用してはいけません。方法論というものは、人間が直面する局面に応じて個別具体的に構想するのが原則であり、ときどきはその方法論を相互に比較したり、もっと大きな観点から評価しなおすということを行うのがよいでしょうが、何も教えないまま競争を煽っても、教えられる側は自分がそのときまでに知っていることで争うので、高い水準は期待できません。低レベルで過酷な競争に「慣れる」人間は生み出せても、そのやり方では創造的でよりよい人材を生むことはできないと言えるでしょう。人間の可能性はやはり、習得する力や応用する力にあります。これを引き出すには、教えられること、伝えられることを、しっかりとつくりあげていかないとなりません。

投げやりな放任主義の大半は、低水準・低モラル・非合理かつ非本質的な競争(あるいは単なる争い・いがみあい)を生み出し、社会的に大きな損失を与える可能性があります。それはモラルの教示ではなく、技術や知識を的確に教える技術を磨くことで回避することができます。

 

8/7

Is D.C. really the coolest city in America?

GO-GOの本場ワシントンDCが、アメリカNO.1クール都市に認定されたそうです。リンク記事の懐疑的なコメントもそれなりに面白かったですが、ともかく、FORBES的には、もはやワシントンDCこそが最高にクールな街です(NYは11位で予選落ち。DCに学ぶことですね)。アメリカNO.1ということは、世界NO.1ということです。おめでたいことです。

そこで記念に動画を紹介します。GOGOとR&B、GOGOとJAZZの相性はすごくいいと思います。私もよく知らないグループですがエリカ・バドゥのカバーをチャーミングにやっています。引き込まれます。

 

 

8/6-2

koushien96甲子園の組み合わせが決まりました。組み合わせ抽選方法は少しずつ変わってるようです。北海道は、

武修館*光星

東海大四*九州国際

ですか。強いところを引いたもんですね。

東海大四は投手がいいので守り勝つ展開になればチャンスがあるかもしれません。

武修館の試合はあまり見たことありませんが、アップテンポの試合で暑さによる消耗を防ぎながら戦って、チャンスを伺うような感じでしょうかね。太古の昔には、大阪近大付が北陸に奇妙な敗退を喫した試合など、強豪がなぜか大きな山場もなく負けるということも起きています。選抜大会にまで広げれば新湊対拓大紅陵など、出場校中最強というチームが普通のチームに負けるということもないわけではありません。甲子園という舞台には、それこそあらゆる試合の型(考えられない逆転や腑に落ちない敗戦など)が残されています。勝つ形をイメージして、そこに入り込めるように気持ちを高めておいてもらいたいです。

ところで武修館の投手が荒れ球だそうですが、少し前の旭川北高校の投手は、予選から毎試合のように10個前後の四球を与え、甲子園大会においてもいつも通りに四球を出していたが「暑さでばてたのかストライクが入るようになったので交代させた」という野球の常識を覆す監督の発言が飛び出したことが知られています。この「ゲームプラン」には言葉を失ったことを覚えています。四球を出すといわれる武修館の投手陣も旭川北にくらべればまとまりすぎている感はありますが、四球を出しても予定通りだみたいな表情で、完封リレーでもしてもらいたいですね。

 

8/6

ワードプレスはユーザーが多いので、時々一斉攻撃を受けるらしく、このHPにも管理画面入室制限がかかってしまいました。IPアドレスの指定は不便なのであんまりやりたくないですが、仕方ないんでしょうか。

攻撃とは少し違いますが、SPAMコメントは現に日々襲来しているようです。特にうらまれるようなことを書いていないこのページにおいても↓

WP-SpamFree has blocked 2,830 spam comments.

こちらの気づかないうちに自動投稿が試みられているらしいです。

とりあえずはレンサバさんの言うとおりにします。

8/5

NHKスペシャル 「調査報告 STAP細胞 不正の深層」を見ました。紙に文字を書き連ねるだけでも、時として命にかかわるものだということは、本日のニュースでもよくわかろうというもの。言葉に過ぎぬといって簡単に考えてはいけませんね。

生物学はほとんど知りませんが、大元のヴァカンティという人の仮説が、同業者から支持も追従もされていないことを知っていれば、当該論文の価値が現象の存在を示すマウスの存在にかかっているのは明白です(「UFOが現にホワイトハウスの正面に着陸した」という事実がもし現れれば、地球外知的生命体存在確率の議論の常識を「覆す」ものになることは容易に予想できます)。それがなくなってしまうと、「なんだか知らないけれどもここから東南東の方角に10KM進んで20M掘削すると油田がありそうな気がする」といった種類の憶測だけが残ります。

ところで、レビュー誌に掲載されているものは、門外漢にとっては保証済物件みたいなもんですから、権威に期待して引用するのは自然なことです。ところが「それは無効でした、引用したあなたが悪い、不注意、調査不足」では、ちょっとつらいものがあります。当然のことですが畑違いだからといって、専門的な文献を避けてしまうと曖昧な一般論に終始して食い足りないことしか書けなくなります。もちろん部外者も少しは調べるでしょうが、高度な検証・批判力を持てと言われても少し無理かなという気がします。昨今学術分野も細分化され、専門家と部外者が一緒に増加しているので、書く人間のモラルは当然必要として、レビュー誌と名乗るだけの働きもしてもらわないと困ると思います。雑誌だけでは無理なのでしょうが、要するにレビューという機能を高めるという観点が必要だと思います。

いずれにしても理研がするべきことは、業績を残すことです。天気をコントールできない、風邪も治せない、五十肩も治せない、エボラ出血熱だかもまだ治せない。できてないことだらけ、これが地球人類の科学技術の現状でもあるわけです。結果を以て日本という国に貢献を為すこと、これが文系学部の学費を投入されている理系学部研究陣の責務ということだと思います。

STAP現象追試については、私は一種の罰ゲームみたいなものだと思って関係諸氏を気の毒に思っていましたが、怒っている人もいるのですね。1千万って、金額的にどうなんでしょうか。何にもできないんじゃない?とか思ってましたが。当該現象があるべき理由を見つけられないのに予算がつくこと自体をお怒りなのでしょうか。たしかに、いわゆる再現のためのプロトコルしか頼るものがない状態で当該現象が出てくるとしたら、調査せずに徳川埋蔵金を見つけるようなものだと思います。というのもそれで出てくるとされているマウスは、実際はどうやら別のプロセスを経てきたものであり、その再現技法で再現されるものが何かは実は分かってない、という状況だからです。UFO着陸という事実が無効になってしまうと、交信の不具合といった、UFOが存在することが前提となった問題ではなくて、地球外知的生命体存在確率の議論に立ち戻って、「にも関わらず地球に来ている公算が実に高いといえるだけのもっともらしい理由探し」の問題になります。せめてそれらしい傍証があれば印象だけは違ったでしょうが。

ところで、くだんの存在確率についていえば、私は「います、きっと」と答えると思います。人類がすぐに出会えるかどうかは別ですけれどもね。そういえば、宇宙旅行が現状しんどすぎるというのも、ぜひ改善してもらいたいものです。こんな状態で、「もはや解くべき謎がない」とかいっているのはまったくどうかしていると思います。