月別アーカイブ: 2014年4月

4/27

将棋名人戦の第2局を並べてみました。
戦型は相掛かり先手28飛車。後手の趣向は82飛車と引いたことで、こう引くと棒銀調で攻められたときに受けるのが難しそうなので、84飛車と浮き飛車に構えるのがよくある形です。この位置は、軽い(可動性が高い)反面、角とかで狙われることもあります。82飛車が利けば、相掛かりの後手の作戦の幅が広がりそうです。本局は、先手が2筋から攻めこみ、攻めが成功したように見えました。結果は先手勝ちです。相掛かりで、先手が28飛車と引いたとき、後手に84飛車を強いることができるのは大きいと思います。

4/17

ボクシング
八重樫さんとローマン・ゴンサレスの対戦が濃厚だそうです。
フットワークとハンドスピードでは八重樫さんが上回っているようなので、勝ち目はあると思います。

しかし、映像を見ると日本の誇るボクシングマニア香川氏がしきりに感嘆の声(「左アッパー、ホント堪能できるんで」等)を上げており、かなりの強敵なのは間違いなさそうです(香川出現率の高さ≒コアファンの評価の高さなので)。パンチは柔らかく、重く、強く、切れているし、左フッカーでありながら右ストレートがまっすぐ出てきます。八重樫さんは気おくれすることはないと思うのでやってくれると思います。
2010年

2013年

4/14

動画アップしました。集中力を高める音楽です。

今、チャンネル内で人気があるもの。エチオピアのシンガソングライター・GIGI。

次は全然まるで人気がないもの。”究極のギターソロ”と名付けてPRしたものの”世界三大バラード”みたいなものと扱われたのか、無反応でした。しかし、事実その通りだというのが衝撃の事実なのでした。5:30からは必聴です。

4/13

将棋電王戦 

第4局は 森下9段対ツツカナ戦。矢倉で中盤まで互角でしたが、中盤から終盤にかけて、ツツカナがリードを広げる展開。疲れないソフトの強さが出た展開でした。ツツカナの、58歩成り捨てへの対応がよく、少し差がついたようでした。後手森下9段としてはいい流れで中盤を戦っていたと思います。

第5局は 屋敷9段対ポナンザ。商品化間近の強豪ソフトポナンザが登場。私もその強さは将棋倶楽部24で知っていますが、トップクラスのアマチュア棋士さえ寄せ付けないその強さはとにかく驚異的でした。先手屋敷9段の横歩取り。この将棋では、以前観戦したときにも見たポナンザ流の指し方が現れ興味深かったです。特定の駒に狙いをつけて取り切ってしまう駒得ルーチンのようなものが発動し、トップクラスのアマチュアを一方的に破っていました。形勢判断の精度がかなり高いので、駒と取っている間に寄せられているというような昔のソフトのようなこともありません。少しくらい模様がよくなればいいですが、ただ単に駒が取られてしまいかねません。

これが発動する展開はポナンザのペースなので、自分がもし指すのなら、駒得ルーチン発動は絶対に避けなければならないと思っていました。しかし中盤ポナンザが16香と、屋敷9段の角を狙い、さらに角を詰まして、これは屋敷9段ピンチかと思われました。しかしプロ棋士というのはやはり強いもので、1.香を打たせて空振りさせ、2.金を戦場から遠ざけさせ、3.「と金」をつくって攻めに使いたい歩を34に打たせ、4.さらに桂を使わせて取られるのは仕方ない角と交換する、というふうにうまくまとめあげました。これには感心しました。駒損ながらほぼ互角のまま終盤に突入し、一時は逆転したかという場面もありました。しかし、終盤戦、わずかな疑問手を境にポナンザがリードを広げて勝ちました。

屋敷9段といえば、昔は序盤中盤で案外簡単に形勢を悪くするので、ソフト相手に序盤を悪くしたら苦戦するだろうと思っていましたが、本局はそんなことはありませんでした。もっとも飛車交換が予定とは思えず、もう少し差をつけておきたかったような気はします。駒損のときの柔らかいまとめ方や手の稼ぎ方はさすがで、昔からこういう受けで不思議な逆転勝ちをしていたように思います。柔らかくしのいでおいて、ものすごい厳しい寄せがさく裂するので、見ていて面白い将棋を指す人です。研究十分の相手にあっさり苦戦に陥るのは、中学生プロ棋士たちにも共通する特徴で、もとから将棋が強いタイプは、元が強いので形勢を楽観するようです。

このシリーズのレギュレーションは、時間とかPCについては今回くらいで丁度いいように思いました。ソフトを擬人化する必要性はそれほどありませんから、貸与はあってもいいんじゃないでしょうか。ソフト貸与期間の半年が長いなら、3カ月くらいでもいいと思います。プロ棋士との戦いで評価関数がどういう形に進化していくのか、さらに項目が増えていくのか、もう少しシンプルな最適な形でもあるのか、まったく従前と違う考え方のソフトが現れるのか、そういうことを想像するのも楽しかったです。来年も見たいです。

4/10

昨日は、とある記者会見が大勢の耳目を集めました。私でも気づくくらいなので、かなりの注目度だったようです。このSTAP細胞のことは、ニュースの見出しでしか知らず、「発見なのか、そうなのか」というぐらいで、どんな人が何をしたかも知らないでいました。3月下旬くらいになって、昨日のような騒ぎがあまりに聞こえてくるので、どんな発見なのかと思って記事を拾い読みしました。

山中先生

SYNODOS

ノーベル賞のおかげというわけじゃないと思いたいのですが、品格感じる文章です。どちらも安定した考察なので、安心して読むことができ、参考になります。わけわからない擁護する人もいたり、理研さえ攻撃できればそれでいいみたいな人もいましたが、私は、理研はこれを機会にもっと充実した研究機関になってほしいと思います。こうした当たり前の見解を表明することを怠けると、総じて場は荒れていきます。

過失の性質は、研究者の未熟さや大学院の指導に帰することはできないものです。「学生なら論文の書き方くらい知っておけ」というのが私のころのごろつき(まあこれは冗談)教授の言い分で、「言い分は聞いたし、対応はするが、お前はあとでつぶすぞ」というのが学生側の言い分でした(大意要約したもの)。教える仕組みがないのに、知っておくべきことを後出し的に要求するという姿勢には若干問題も感じますが、元データを毀損しないだとか、引用作法だとかは、大半の大学とひょっとすると高校あたりでも「知っておくべきこと」の範囲だと思います。

ところで私の言いたいことは、記者会見がどうこうではなく、よしんば30歳の博士が自らの未熟さを告白し、謙遜したからといって、若い人たちへの質的ハードルを下げるべきではないということです。若い人は質的要求には応えることができます。量的な要求は、避けられず限界を持ちます。学生たちの時間は無限にあるわけではなく、キャリアパスによってこなせるタスクの量は異なります。初めから修士に行くつもりのない学生に過大な量的要求をするのは、多くの意味で無駄になりますが、質的要求は可能です。

例えば文系私大学生なら、多言語でジャーナルを読み、レポートを出す。この程度をゴールに設定することができそうですし、あるいはもう少し高度な、外語による論文作成くらい求めてもよいのかもしれないです。案外やれちゃうものだというのを私は他人の例でも自分自身についても見ています。プレゼンやディベートを加えるのもいいと思いますが、学問的にはそれらは本質的ではないので、2年生になったらそれ以降は、論文1本書くようにぐらいの質的な要求をするとよいと思います。学問的な産出物をつくるというのは、やはり得るものはとても大きいです。博士でもミスするんだから、論文なんて書かせられないと思う人がいたらそれは大きな間違いです! 若い人は求めさえすれば応える力を持っています。書かないと分かるわけがないことはたくさんありますので、ちょっと難しいかなくらいのクォリティを求めて欲しいと思います。対して、いたずらに量を課すのは、単なる嫌がらせになってしまいかねませんので、修士や博士課程を目指すようなところ以外では、すべきではないと思います。学生が自ら望む場合は別でしょうが。たとえば、単位が欲しいので物量レポートを出して、努力を評価してもらいたいといった場合ですが、うーむという気がします。たしかにそんなことをしなければならないことも後々出てはきそうですか。大量な調査をし報告する能力も確かに必要ですかね。