月別アーカイブ: 2012年4月

4/30

棋聖戦の挑戦者が決まりました。若い中村さんが初めてのタイトル挑戦。

http://live.shogi.or.jp/kisei/kifu/83/kisei201204260101.html

挑戦者決定戦は、横歩取りから駆け引きらしきものがあり、後手は52玉型に構えました。銀が外側に開き防御が弱くなっているようですが、案外バランスのいい形です。

深浦中村の将棋棋聖戦の盤面
深浦中村の将棋棋聖戦の盤面

画像は24手目。36歩と突いた先手、後手の飛車を狙う後手といったところです。巧拙を別にしてポイントになるのは後手の23銀で、こう指すと22銀に戻すことはほぼ不可能になります。52玉型の後手はよくこの銀を指して前へ繰り出してきます。早めに3筋の歩を敢えて取らせているため、こうした動きを取りやすいのだそうです。

本局は玉の薄い戦いにどちらともなく持ち込んだ印象でした。先手中村さんの飛車がつかまらず、先手が最後はやや差をつけて勝ちました。

広瀬さん豊島さんに続いて若い挑戦者です。楽しみですね。

 

4/26

今日は株安・円高というはた迷惑な日でしたが、その要因の1つが小沢被告の無罪判決でした(もとよりプロ筋の検事が不起訴相当としていた案件ではありますが)。つまりは国会の審議停滞(とくに消費税増税)要因だというわけです。天下国家のためなどというなら、自分が国会議員を辞めるのが一番この国のためになるのですが・・。彼のグループには、プロ子分みたいな人しか見当たらず、見るべきものがありません。

一国民の政治との距離感をどう考えるか。支持政党は明かさず、中立の立場で政策だけを論じるのが得策です。そうすれば国会の勢力図などは関係なくものを考えることができます。消費税増税はしたがって必要です。他には結論の出しようがありません。すぐれた人たちでも支持政党を公言している人たちは、ときに無理に擁護したり、明らかにいただけない政策を支持政党が出した時に、あまりそれに触れないようにしたりするということがあると思います。それは社会的損失です!

ところで、消費税といえば、人気のある大阪市長さんも反対ということです。私はもちろん橋下さんは力のある方だと思っています。彼のことをいろいろ言う人もいますが、橋下さんの政治というのは、世界のいろいろな政治体制をみたうえでいえば「あくびが出るほど健全」なものです。それは余談ですが、彼の政策は、地方自治体では有効でしょう。ドイツ・大阪モデルといえばいいのでしょうか。これははっきり有効です。東京、大阪、名古屋、ひょっとしたら福岡のような大都市でも有効でしょう。すなわち、競争力のある経済主体だけを残し、あとは追い払う。地方自治体だから、あるいはドイツならEU圏の吸収する力あればこそ有効な策になります。

しかしながら、国(最終的貸し手、借り手にならい、最終的な行政機関とでも仮に読んでみます)となると、その追い払われた人のケアも必要になります。これはどこからとればよいのか。経済活動に比例した間接税の形で取るのがよいです。東京にせよ、ニューヨークにせよ、過酷な競争のすえに富を築いた人々は、決して直接税累進課税をフェアだとは思わないでしょう。役人さんの役職者は別かもしれませんし、半官企業の役職者も構わないよというかもしれません。でも本当の競争に生き残った人たちにその理屈は通用しません。あなたがたも戦えとか、勝ち残れとか言われて終わりです。そしてそれは社会主義的にさえ一理あります。

間接税であっても、そうした高収入の人間はいずれにしても、多く収めることになります。原則一律の比率で負担するのです。景気がよくなれば、福祉も充実すると誰もが理解できるようになります。高所得者のだれもがアントレプレナーではないというのはそのとおりですが、上述の理屈を反駁することはできないでしょう。誰が起業家で誰がそうでないという議論など時間の無駄だからです。(社会保障費の確保が必須⇔経済はグローバル化しているし、し続けると考えないとならない)→したがって間接税で賄う以外にはありません!

最終的な行政機関とそうでない自治体の施策とは、したがって異なりますし、それが当然のことです。最終的な行政機関は領土、国境を守らねばなりませんし、キャパシティを越えた移民の流入は制限しなければなりません。それができないときは、管理能力の欠如を問われます。管理能力が欠如しているとみなされれば、アメリカでもあったように、州知事が国境の警備を強化するという事態を招きます。そこで最終的行政機関は、失業者たちのケアもしなければなりません。そこにはとりあえず責任という責任が集まってくるからです。それを果たすには財源も必要であれば景気刺激のための通貨供給量の増大も必要ですし、復興事業のような事業も時に必要になります。金融緩和で足りないときは公共事業というのは完全に正しい主張です。その金はどこからという人もいますが、乱脈なことはできないにしても、最終的な行政機関というのは、地方自治体とも民間企業とも違います。それら、特に企業は自分の関与しない行動の結果に責任を負う必要が原則としてありません。

どんな事業をすればよいのか。むろんそれが問題なのですが、普段から政治勢力図などを脇にどかせていれば、いろいろアイディアも出てくるのではないでしょうか。震災は基礎的なインフラの重要性に気づかせてくれましたが、もちろん復興に力をつくした地域住民、地元企業の活動、それにNPOなどのネットワーク型の事業体などもあります。定期的に国土を刷新するようなインフラ整備は当然今後も必要であり続けますし、それなしに、地域経済の自律的な活性化もおぼつかないでしょう。しかしながら、マクロ的なアプローチだけでなく、住民や小規模事業体のネットワークのような下からのアプローチもあります。後者はともすればすべて地方自治体に押し付けられてしまいますが、国レベルでの予算ももう少しあってもいいような気がします。どのくらいが適正かはよくわからないのですが、毛細血管とか感覚細胞とか案外健康に重要なものです。「冷え症社会」みたいにならないためには、ミクロ的な経済活動のことも見てほしいと思います。