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組織論では昔から指揮系統について模式化して検討している。

ピラミッド型と、ボトムアップ型、それにメンバーの自律的行動から生まれる自然な秩序などに分類されている。

自律的に生まれ、自律的に持続する形態は、各人の主体性が発揮されやすいから、こうした形態を目指す組織があっても不思議ではない。全部の情報を共有しなくても、全体会議を何度も開かなくても、おおまかな申し合わせで組織が動く。

ただ、この場合に、その中の一人のインプットそのものの不作為は多少影響する。ピラミッド型でもボトムアップ型でも、わずかな一部分の不作為なら代替が容易だ。たとえば10人のうち1人であってもプラミッド型ならリーダーがいれば、ボトムアップ型ならほかの9人が合議をすればよい。自律的組織では、動くと思っていた人間が一人、病気か何かで動けなかったりして、しかもそのことが組織には通じていなかったりすると、このことのリカバリーには時間がかかるような気がする。また、リカバリーした結果、各人の負担が増え、そのままになる可能性もあるような気がする。組織として、経営資源を補おうという合意が、こうした形態だと為されにくい。

しかし、現代では、十分な人数でチームを組めないことも多い。全員が動きながら、各人はその動きに順応しなければならない。メンバーが疲弊しないためには、各自が自主的な動きをしながらも、そのチームとして労力や資源を獲得しなければならない。新しいメンバーとか新しいスポンサーとか、率のいい仕事などを目指す、そういうところで意識が共有されていることが必要になる。やはり、チームとしてのアイデンティティをどこかで確立しないとならないのだろう。自律、調和に加えて一体感もどこかで必要になる。チームとしての強い外皮がないと長くは続けられない気がする。

 

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