4/25

NFLドラフト迫る。毎年指名当てクイズが行われていますが、その景品は油田かそれに類した素晴らしいものだと推測されます。

今年もやってみます。NFLドラフトの特徴は、指名権と選手のトレードがあることで、毎年ドラフト当日になって取引があると聞いています。債券の償還期限間際の動きのように、最後には落ち着くところに落ち着くものなのですが、そこに至るまでに激しい駆け引きがあります。

昨年の優勝チームのペイトリオッツは、ドラフトではあまり派手な動きをしないようです。このあたりのチームごとの戦略の違いも、面白いところです。

 

12/31

今年は、仕事の環境が少し変わって、事務所も引越した。忙しくなったが可能性が広がった気がする。

介護保険法の改正に関連する勉強会に何度か出席した限りでは、高齢化社会が進展する以上、介護保険対象外の範囲が拡大することは予想されているという雰囲気だった。自治体の対策に委ねられることになるので、差が出てきそうだった。

社会課題におけるビジネス手法を考えるときに、世界の成長率がおよそ2%ということを考える必要がある。高い利益率は、需要に駆動される。ところが、生活は必ずしも需要に駆動されているのではなく、必要や義務や習慣によって為されることも多い。こうした分野で高い利益率を出すのは簡単ではない。ビジネスだけで、社会的課題をすべて相手にすることは難しいと思われる。

●需要か供給か?

需要を喚起するケインズ型と、供給が需要を生み出すというセー理論がよく対比される。おおむねとしては、需要を喚起してこそ消費も投資も促進されるという洞察に説得力がある。ただ、私は最近、セーの理論は限定的には有効ではないかと思うようになった。セー理論は、くつした3千万足のような特定の商品を極端にたくさん生産する事例を考えると、とても受け入れられないようにみえる。しかしながら、供給されるものが通貨の形を取っていればその限りではない。それを供給と呼ぶのかどうかだが、補助金事業とか助成事業とか、コンペとかはそのような種類のものと言えるような気がする。この場合は、たしかに、通貨の供給が需要を生み出している。数千万円の賞金が、アイディアを生み出すことがある。

必要・義務・習慣といった分野では、供給主導型もありかもしれないと最近思う。ふつうの自由競争では、利益率の見込めない分野から撤退するのが合理的選択でありうる。社会的課題の多くは、もともと需要が大きくないなどの理由で事業者が参入してこない場合が多い。供給主導型の問題は、事業の質である。コンペはある程度、質を担保できるが、それで行われる事業が、サービス対象者に望まれているかどうかは別の問題だ。それで補助金事業はしばしば問題視される。成果報酬型の資金調達手法として社会的インパクト債というものがある。

プロバイダが変わって、ログイン制限くらってましたがやっと入れました。2017年もよろしくお願いします。

 

11/13

風邪をひいている間に、アメリカ大統領選挙が終結。共和党候補が大統領となりました。

民主党はいつもながらの、メディア・くず論者・ハリウッドのくず芸能人のマッチポンプ選挙を展開しましたが、とうとう力尽きたというところなのでしょう。インターネット時代に乾杯!

このマッチポンプを支えるのは、圧力団体や労働組合、外国の政治団体のいわゆる「献金」、いいかえれば彼らが市民から恫喝して集めたお金というわけです。これに協賛企業が加わると、一般市民から広く巻き上げたお金が、上述のマッチポンプの役立たずたちに回っているということになります。

そう考えると、この結果は、地球市民として歓迎するべきことだということが分かります。さきのマッチポンプで暮らしている人間にとってはまさに世界の終わりなんでしょうが、一般市民には無関係なことです。集めるだけ集めてなおかつ負ける、今回の民主党はいい仕事をしました。圧力団体には大打撃だったでしょう!

圧力団体や政治団体などは、叩き潰す以外はない存在ですが、組合なんかだと、「政治献金をせずに、組合員のために使う」という立派な選択肢があります。ぜひそのように方針を変えてもらいたいと思います。なぜといって、政治に投資すれば、リターンは自分の都合のよい法制度とか、公的資金の行先のコントロールしかありません。本当に献金した政治家がやってくれましたか? あやしいものです。献金でなくても、こうした意見を聞かせる方法はあるのではないかと思いますし、献金しなければ聞かない政治家なら、投票しないほうがいいと思います。

とにかく、インターネット時代は、誰もが重要な公式情報にアクセスすることができる時代ですので、芸能人やメディアの見解・嗜好・判断に依存するという習慣を、自信をもって断ち切ることが可能な時代です。カナダに逃げるといったハリウッド芸人たちをすぐにでもたたき出して、悪事を働けないようにすることが、選挙が終わった後の市民の仕事ということになりましょう。そして民主党は今後も、圧力団体から資金を集めては選挙に負ける、これを繰り返す。すると世の中はなぜか良くなる。驚きです・・。

もし民主党が本当に体質改善をして、圧力団体に見放されることになれば、それもまた良いことでしょう。それらの団体が、アメリカの政治には手を出さなくなることを意味するのですから。

http://nypost.com/2016/11/11/new-york-times-we-blew-it-on-trump/

NYTやBBCといったメディアは、私にすれば報道機関ではなく広告代理店です。彼らの意見や考えを数に数えるつもりはなく、ファクトチェックくらいにしか使い道はないものと考えています。

9/25-2

高校野球のデータサイトで、雪国(北海道、東北、北信越、山陰)の戦績を見ていると、長野県の戦績がわりとよいことに気づきました。春夏優勝あり、準優勝も合計5回あります。最近福井県の学校が優勝しましたが、関西に近い福井、石川の学校は比較的成績がよいものの、長野県ほどの実績はありません。長野が活躍していたのは年代的には少し前のことですが、それにしても他と比べて勝っているわけで、ちょっと不思議でした。静岡、愛知、岐阜などの昔からの強豪県と近いせいもあるのでしょうか。もっとも地図でみると、長野と静岡・愛知・岐阜は接してはいるものの、それほど近くも見えないのですが。

9/25

組織論では昔から指揮系統について模式化して検討している。

ピラミッド型と、ボトムアップ型、それにメンバーの自律的行動から生まれる自然な秩序などに分類されている。

自律的に生まれ、自律的に持続する形態は、各人の主体性が発揮されやすいから、こうした形態を目指す組織があっても不思議ではない。全部の情報を共有しなくても、全体会議を何度も開かなくても、おおまかな申し合わせで組織が動く。

ただ、この場合に、その中の一人のインプットそのものの不作為は多少影響する。ピラミッド型でもボトムアップ型でも、わずかな一部分の不作為なら代替が容易だ。たとえば10人のうち1人であってもプラミッド型ならリーダーがいれば、ボトムアップ型ならほかの9人が合議をすればよい。自律的組織では、動くと思っていた人間が一人、病気か何かで動けなかったりして、しかもそのことが組織には通じていなかったりすると、このことのリカバリーには時間がかかるような気がする。また、リカバリーした結果、各人の負担が増え、そのままになる可能性もあるような気がする。組織として、経営資源を補おうという合意が、こうした形態だと為されにくい。

しかし、現代では、十分な人数でチームを組めないことも多い。全員が動きながら、各人はその動きに順応しなければならない。メンバーが疲弊しないためには、各自が自主的な動きをしながらも、そのチームとして労力や資源を獲得しなければならない。新しいメンバーとか新しいスポンサーとか、率のいい仕事などを目指す、そういうところで意識が共有されていることが必要になる。やはり、チームとしてのアイデンティティをどこかで確立しないとならないのだろう。自律、調和に加えて一体感もどこかで必要になる。チームとしての強い外皮がないと長くは続けられない気がする。